秋保温泉

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秋保温泉
温泉情報
所在地 宮城県仙台市太白区秋保町湯元
交通アクセス アクセスの項を参照
泉質 塩化物泉
液性の分類 中性
浸透圧の分類 低張性
 Template‐ノート:日本の温泉地 

秋保温泉(あきうおんせん)は、宮城県仙台市太白区秋保町湯元(旧国陸奥国明治以降は陸前国)にある温泉仙台都心からも近いため、宿泊のみならず、日帰り入浴にも利用されている。同じ宮城県の鳴子温泉福島県飯坂温泉とともに奥州三名湯に数えられた。

目次

泉質

温泉街

秋保町内の秋保盆地を流れる名取川が形成した河岸段丘上に旅館ホテルが建ち、温泉街の中心部には観光案内所の機能も持つ「秋保・里センター」(せんだい秋保文化の里センター)がある。初めに温泉街として発展したのは「秋保・里センター」の西側に当たる湯元地区である。この地区には平安時代に起源を有する宿のほか、江戸時代寛永年間あるいは元禄年間に創業した老舗旅館が建ち並んでいる。

温泉街は仙台都心から車で20-30分と近く、高級ホテルスイートルームに匹敵する部屋(離れ)を有する施設が複数存在し、仙台都市圏で最高の価格とサービスを提供しているため、賓客接待にも用いられている。同様に松島にも高級ホテル・旅館が存在することから、仙台都心にいわゆる高級ホテルが立地出来ない要因ともなってきた。ただし、2008年平成20年)には仙台・宮城デスティネーションキャンペーンに合わせて松島に松島温泉が開湯し、仙台都心では2010年平成22年)完成予定の仙台トラストタワーに高級ホテルのウェスティンが入ることが正式決定されるなど、競争激化が予想されており、変革を余儀なくされている。

2003年平成15年)全国観光動向による周辺部も含めた年間訪問客数は262万人で、仙台都心856万人、松島370万人に次いで宮城県内3番目の観光地であり、かつ、宮城県内の温泉地で入り込み客数最大となっている。

歴史

開湯時期は不明だが、古墳時代にはすでに存在したとする説も存在する。秋保温泉が歴史に登場するのは、第29代欽明天皇の代である。在位中(531年539年)に小瘡(皮膚病)に感染し、八方手を尽くして治療を行ったものの一向に治らなかったが、秋保温泉の湯を搬送させ沐浴したところ数日で全快したとされ、天皇はその喜びを歌に詠んだ。

“覚束な雲の上まで見てしかな鳥のみゆけば跡はかもなし”(な鳥のみゆ=名取の御湯)

以後、秋保温泉は皇室の御料温泉の一つとして位置づけられ「御湯」の称号を賜り、別所温泉(信濃御湯)、野沢温泉(犬養御湯)(あるいはいわき湯本温泉(三函御湯))と共に「日本三御湯」と称せられるようになった。「名取の御湯」は、「拾遺集」「大和物語」などにも歌われている。御湯であるが、日本三古湯(有馬・道後・白浜)ではない。

平安時代から戦国時代にかけて、秋保温泉の「湯守役」を勤めていたのが佐藤家である。伊達政宗の仙台入府後、秋保温泉に藩主の御殿湯が整備されたが、この管理も佐藤家に任せられた(現在のホテル佐勘の祖)。

江戸時代初期までは、秋保温泉の源泉は一つで入浴場も一箇所のみであった。この入浴場の周りに宿泊所が設けられていた。当初、この宿泊所も佐藤家だけが管理していたが、1625年(寛永2年)に岩沼屋が、また元禄年間には水戸屋が、佐藤家と縁を結ぶ形で旅籠を開設する。武家はもちろん庶民の利用も活発となり、広く親しまれる湯治場の一つとして賑わうようになった。

大正時代に入ると秋保温泉と長町との間に、秋保石の採掘運搬を目的とした馬車軌道が開通した。しかし、所要時間は約2時間20分であり、徒歩での所要時間と大差なかった。その後、秋保石材軌道、秋保電気鉄道へと発展し、所要時間は約1時間に短縮された。さらに、長町駅では国鉄東北本線仙台市電と接続し、戦後にかけ湯治客の輸送に大きく寄与した(鉄道は1961年昭和36年)に廃止されている)。

戦後、各旅館とも近代的な建築に建て替えが進んでいたが、1980年代に入ると高層の大型観光ホテルが次々建てられた。すると、人口約5千人の秋保町の財政では高層ホテルに対応するポンプ車やはしご車などの消防車を配備することが困難となり、町は1985年昭和60年)に仙台市と消防応援協定を締結した[1]。さらに、従来型の簡易水道や下水処理を大量の宿泊客に対応するための上水道下水道へ整備する必要にも迫られ、また、1981年昭和56年)4月15日笹谷トンネル開通で仙台~山形間の最短路になった国道286号が通る町中心部近くにおいて、赤石橋周辺がボトルネックとなって周辺道路が週末に大渋滞する状況も解決しなくてはならなくなった。しかし、町単独の財政ではこれらのインフラ整備は困難と考えられ、1988年昭和63年)に仙台市へ編入合併、翌1989年平成元年)に政令指定都市化という道を町は選んだ[2]

仙台市との合併後、渋滞の原因の1つである国道286号と宮城県道31号仙台村田線との接続部において、東北自動車道仙台南ICから温泉街入口までの国道286号に片側2車線の生出バイパスが整備され、その先の国道286号でもボトルネックの赤石橋を回避する赤石バイパスが新設された(1990年代に整備が進んだ山形自動車道も渋滞の解消には役立った)。また、国道48号からは林道のみのアクセスだったが、仙台西道路愛子バイパス県道秋保温泉愛子線と続く仙台都心からの新たな最短経路が建設され、更に国道457号もできた。これら道路の整備により、仙台都心から車で約20分、最寄インターチェンジから約10分という利便性を得た。また、釜房ダムなどを水源とする上水道が整備され、旧秋保町全体の下水道普及率も政令市移行時の29.6%から88.6%になり、湯元地区には仙台市消防局太白消防署秋保出張所も設置された[2]

バブル景気までは、各ホテル・旅館とも団体旅行や宿泊を伴う大型忘年会などで賑わい、宴会部門を主な収入の柱にした経営をしていた。また、同時期に仙台市に編入合併した旧宮城町内の作並温泉(片側1車線の国道48号あるいは全線単線仙山線作並駅でアクセス)と比べて利便性が高くなり、投資や観光客も集中した。しかし、バブル崩壊後は旅行の少人数化で宴会を伴わない客層に変化し、団体客が減少して宴会部門の収益が激減した。そのため、倒産したり、買収される旅館も出るなど、各ホテル・旅館とも収益構造の変化を強いられた。その中で、域外資本による低価格販売路線を打ち出す宿の登場や、既存の宿の方向性転換による個人客向け高級温泉宿など様々な宿が存在する温泉街へと変化した。

温泉

周辺観光地

宮城県内
山形県

アクセス

  • 自家用車(距離は秋保入口交差点まで、MapFan Webで計算。時間は実走)
  1. 東北自動車道仙台南ICから、国道286号宮城県道・山形県道62号仙台山寺線:8.4km、約10分。
  2. 東北自動車道・仙台宮城ICから、国道48号愛子バイパス)、宮城県道132号秋保温泉愛子線:11.3km、約15分。
  3. 広瀬通一番町交差点から、仙台西道路、以降上記2と同じルート:16.3km、約20分
  4. JR仙台駅から、青葉通り、以降上記3と同じルート:18.4km、約30分

脚注

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外部リンク



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