伊東輝悦

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伊東 輝悦 Football pictogram.svg
名前
愛称 テル、テルドーナ→テルレレ
カタカナ イトウ テルヨシ
ラテン文字 ITO Teruyoshi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1974年8月31日(39歳)
出身地 静岡県清水市
身長 168cm
体重 72kg
選手情報
在籍チーム AC長野パルセイロ
ポジション MF (DMF)
背番号 30
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1993-2010
2011-2013
2014-
清水エスパルス
ヴァンフォーレ甲府
AC長野パルセイロ
483 (30)
59 (0)
0 (0)
代表歴
1997-2001[1] 日本の旗 日本 27(0)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年1月17日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

伊東 輝悦(いとう てるよし、1974年8月31日 - ) は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダーJリーグAC長野パルセイロ所属。楢崎正剛に抜かれるまでは、Jリーグディビジョン1の最多出場記録を保持していた。

目次

人物・評価・プレースタイル

元々はドリブルを武器にする攻撃的選手だったが、プロ入り後にボランチへ転向。黒子的な役割を全うする職人的プレーヤーとなり、日本代表監督であったフィリップ・トルシエは伊東を「日本のデシャン」と評した。またアトランタ五輪代表では、表のエースである前園真聖に対して影のエースと呼ばれ、監督の西野朗から絶大な信頼を受けていた。

ディフェンシブなポジションであるにも関わらず被警告数が極端に少ないフェアプレーも特徴である。本人曰く「ファウルで(相手を)止めるのは簡単だが、それでは成長がない」。体格的に恵まれないため、力ではなく相手の先を読みボールを奪う技術に優れ、奪った後のボールが味方へのパスになるようプレーをしている[2]

来歴

小学生時代から多くのサッカー関係者に注目されていたが、当時は小柄なMFではなく長身FWだった。小学5年生時には清水市の選抜チーム・清水FCのメンバーとして1学年上の服部年宏望月重良らと共に、小学6年生の時にはエースとして田島宏晃らと共に全日本少年サッカー大会2連覇を経験している。

東海大学第一高校に進学。同校は2学年上に森島寛晃、後にアトランタオリンピック代表となる服部年宏(1年先輩)、松原良香白井博幸らを始め、後にJリーガーとなる選手が数人いたが、清水商業清水東静岡学園などの壁に阻まれ高校選手権には一度も出場できず、地元開催で2枠の出場があった1991年度高校総体での準優勝のみが目立った成績となった(決勝戦の相手は清水東で、後に清水エスパルスでチームメイトとなる田島宏晃、斉藤俊秀が所属していた)。

しかし、静岡県選抜としては国体2年連続優勝に貢献。各世代の日本代表にも選ばれるなど評価は高く注目されていた。「ゴムまりのようなドリブル」で一気に数人を抜き去るようなプレーから、マラドーナをもじって「テルドーナ」とも呼ばれ[3]、普段は淡々とプレーしていることとのギャップから、当時のチームメイト達に「あいつが本気になったら誰もかなわない」と言わしめた。

高校卒業後、1993年に地元の清水エスパルスに加入した。1994年6月11日のJリーグ・サントリーシリーズ第21節ガンバ大阪戦でプロ初出場を記録した。プロ3年目の1995年から頭角を現わした。同年11月8日のホーム鹿島アントラーズ戦で相手を3人抜き去って決めたゴールは語り草となっている。また、当時U-22日本代表監督だった西野朗に促され、「最大の転機」というボランチへの転身を果たす[3]。ただし、状況によっては攻撃的MFとしてチャンスメイクを果たした。

1996年アトランタオリンピックに出場。初戦のブラジル戦で決勝ゴールを決めマイアミの奇跡の立役者となる。3戦目のハンガリー戦でも前園真聖の決勝ゴールをアシストした。

1997年には加茂周監督の下、A代表に初選出される。1998年フランスW杯のメンバーにも岡田武史監督の下、選出されたが、試合に出場することはなかった。

1999年スティーブ・ペリマン監督の下、Jリーグ2ndステージ優勝を果たし、この年のJリーグベストイレブンに選出されるが、アタッキングゾーンでのプレーを求められなかったため、この頃から攻撃的なプレーが少なくなる。

フランスW杯後に就任したフィリップ・トルシエ監督の下では運動量と守備的意識を買われ、ついにレギュラーの座を獲得。トルシエ時代にはボランチ以外に右ウイングバックとして起用されることも多かった。2000年カールスバーグカップメキシコ戦では初のゲームキャプテンを任せられるなど、トルシエ監督から絶大な信頼を得る(合宿終了後にゲームキャプテンから一言と言われた際、寡黙な性格のためか「お疲れ様でした」の一言しか言わなかった)。しかし、2002年日韓W杯メンバーには、負傷から復帰した直後のタイミングとなってしまい選出されなかった。

2007年11月11日サンフレッチェ広島戦(日本平)にて、藤田俊哉に続いて史上2人目のJ1通算400試合出場を達成した(同一クラブ所属では史上初)。2008年5月11日の鹿島戦(日本平)ではJリーグ通算最多出場となる415試合出場を達成、2009年6月27日FC東京戦(国立)にて、J1史上初となる450試合出場を達成した。

2010年11月、デビュー以来所属していた清水エスパルスより戦力外通告を受けたが、2011年よりJ1に昇格し戦力補強を望んでいたヴァンフォーレ甲府より、同じく戦力外となったチームメイト市川大祐と共にオファーがあり移籍。引き続きJ1でプレーすることとなった。

2011年7月16日ガンバ大阪戦(中銀スタ)でJ1史上初の通算500試合出場を達成[4]

2012年に甲府が降格したがチームに残留し、J2初参戦で25試合に出場。2013年に甲府が再昇格したことから再びJ1のピッチに立つことになった。しかし2013年はコンディション不良もあり6試合の出場にとどまり、同年限りで甲府を退団することとなった。

2014年、AC長野パルセイロへ移籍[5]

趣味

パチンコ登山が趣味。シーズンオフには登山のために海外を訪れるほどの山好きで、静岡朝日テレビスポーツパラダイス』の企画で雪山登山をした際には、今まで清水のチームメイトにすら見せたことがないという笑顔で楽しむ光景が放映された。その様子をゲストとしてスタジオで見ていた西澤明訓は「パチンコしてるときよりもいい顔をしている。」と評した。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1993 清水 - J 0 0 0 0 3 1 3 1
1994 6 0 1 0 0 0 7 0
1995 44 4 - 1 0 45 4
1996 26 4 7 1 3 0 36 5
1997 7 31 7 6 1 3 1 40 9
1998 34 5 1 0 5 0 40 5
1999 J1 29 1 4 1 3 0 36 2
2000 24 1 4 0 5 1 33 2
2001 27 1 2 0 1 0 30 1
2002 22 0 2 0 3 0 27 0
2003 30 2 4 0 4 0 38 2
2004 30 1 7 0 1 0 38 1
2005 32 0 5 0 5 0 42 0
2006 34 2 5 0 3 0 42 2
2007 34 1 2 0 3 0 39 1
2008 34 0 9 0 2 0 45 0
2009 30 0 8 0 2 0 40 0
2010 16 1 6 0 5 0 27 1
2011 甲府 27 28 0 1 0 2 0 31 0
2012 J2 25 0 - 0 0 25 0
2013 J1 6 0 3 0 1 0 10 0
2014 長野 30 J3 -
通算 日本 J1 517 30 77 3 55 3 649 36
日本 J2 25 0 - 0 0 25 0
日本 J3 -
総通算 542 30 77 3 55 3 674 36
その他の公式戦
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2002-03 清水 7 3 0
通算 AFC 3 0

個人タイトル

代表歴

出場大会など

試合数

  • 国際Aマッチ 27試合 0得点 (1997-2001)[1]


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
1997 1 0
1998 1 0
1999 7 0
2000 7 0
2001 11 0
通算 27 0

関連項目

脚注

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  1. ^ a b “伊東 輝悦”. サッカー日本代表データベース. http://www.japannationalfootballteam.com/players_a/teruyoshi_ito.html 
  2. ^ 土曜スポーツタイム』(2008年10月4日、NHK
  3. ^ a b 吉崎エイジーニョ"鉄人に訊け 伊東輝悦さん、長く続ける秘訣は何ですか?". Number Web.(2011年5月24日)2013年9月11日閲覧。
  4. ^ 鉄人・伊東 前人未到のJ1通算500試合出場”. スポーツニッポン (2011年7月17日). 2013年9月6日閲覧。
  5. ^ 新加入選手のお知らせ”. AC長野パルセイロ (2014年1月17日). 2014年1月17日閲覧。

[ 伊東輝悦 ]の改訂履歴 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/05/07 21:42)

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