真部一男

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真部 一男(まなべ かずお、1952年2月16日2007年11月24日)は、将棋棋士加藤治郎門下。棋士番号は111。東京都荒川区出身。

目次

人物

  • 1981~83年に日本将棋連盟理事を務める。若手時代は1950年代生まれの棋士の代表格として期待され、当時の名人だった中原誠に対する対戦成績の良さから「将来の名人候補」との評判も勝ち得た。
  • 若き日には端麗な容姿も手伝って「将棋界のプリンス」と呼ばれ、時代劇に幕末の名棋士天野宗歩役でテレビ出演するなどマスコミにもしばしば取り挙げられた。また、将棋界有数の囲碁の強豪としても有名であった。草柳文恵と結婚するも、のちに離婚。
  • 文筆の分野での活躍も目立ち日本将棋連盟の月刊誌「将棋世界」に「将棋論考」を10年以上連載した。この連載によって1998年度(第10回)将棋ペンクラブ大賞の「一般部門」で大賞を獲得している。連載は第111回と第112回の間、筆者の肺炎・胸膜炎のため、初めて穴が開いてしまった(同じ理由で、棋士になって以来初の不戦敗も記録)。 真部は1日にタバコハイライト)を2箱吸うヘビースモーカーであったが、この病気と喫煙との因果関係を担当医師に指摘された経緯については真部自身が連載再開後に記している。なお、「111」は、奇しくも真部の棋士番号と同じであり、第112回(2006年7月号)の文章の冒頭でも真部がそのことに触れている。
  • 2007年11月1日から2009年3月31日までの1年4カ月間、病気療養のため全棋戦を休場することが日本将棋連盟から公式発表されたが、11月24日、転移性肝腫瘍のため死去、55歳没。
  • 公式戦通算成績は598勝614敗。600勝(将棋栄誉賞)を目前にしての早世だった。弟子に小林宏がいる。
  • 2007年11月24日付で日本将棋連盟より九段が追贈された。

幻の妙手△4二角

【33手目 ▲6七銀引まで】
△真部一男八段 持ち駒 角
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91 81 71 61 51 41 31 21 11
92 82 72 62 52 42 32 22 12
93 83 73 63 53 43 33 23 13
94 84 74 64 54 44 34 24 14
95 85 75 65 55 45 35 25 15
96 86 76 66 56 46 36 26 16
97 87 77 67 57 47 37 27 17
98 88 78 68 58 48 38 28 18
99 89 79 69 59 49 39 29 19
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▲豊島将之四段 持ち駒 角

2007年10月30日順位戦C級2組の対局(対豊島将之戦)で、体調が悪化して指し続けることができず、33手で投了したのが最後の対局となった(右図)。真部はこの投了の局面で、妙手「△4二角」を発見していたが、その手を指せば相手が長考に入り次の自分の手番まで体が持たないだろうとして投了したという[1]。その後、真部の通夜が行われた11月27日のC級2組順位戦、村山慈明大内延介戦で偶然にも同一局面が出現し、後手の大内が34手目にこの手を指した。そして真部の懸念通り、この手を見た村山は110分の長考に入っている[2]。後日、豊島はこの対局について「△4二角は指されたら絶対に長考していた」とコメントしている[3]

真部の幻の妙手と、大内がそれを再現したことは、棋界で大きな話題となった。翌年3月に行われた将棋大賞の選考では、真部-豊島戦を名局賞に推す声も上がったが、一手の価値を認められて升田幸三賞(新戦法や妙手に与えられる)の特別賞が与えられた。これまで実際に指されなかった手に升田幸三賞が与えられたことはなかったが、構想にあったことは明らかであり、「指したのも同じ」とされた[4]

棋歴

  • 奨励会時代から俊英として知られ、山口瞳の「血涙十番勝負」にも「真部一男三段。毎年惜しくも昇段を逃しているが、奨励会実力ナンバーワンは衆目の見る所。それどころか、順調に進めばA級間違い無しの俊秀である」という一節がある。
  • 四段昇段後は毎年惜しいところで順位戦昇級を逃していたが、C級2組3年目となった1975年度には全勝でC級1組昇級、翌年も9勝1敗の好成績でB級2組に昇級する。1979年度の順位戦でB級1組に昇格した後、1987年度には9勝3敗の成績で昇級。晴れてA級八段となる。A級には通算2期在籍。
  • 若手時代は、当時脂の乗りきっていた米長邦雄を得意とし、1982年度の早指し選手権決勝三番勝負では米長をストレートで下すなど、80年代中頃までは米長相手に大きく勝ち越していた。この理由について本人は「奨励会時代から米長から目をかけて貰い、『ぶつかり稽古』と称した練習将棋を多い時は月に百局以上も指すなど、若い頃から米長将棋を吸収できたため」……というようなことを著書で述べている。
  • その一方で森安秀光谷川浩司といった「神戸組」の棋士を苦手としており、森安には83年から84年にかけて、王座戦の挑戦者決定戦と棋王戦の勝者組決勝という大一番で続けざまに負かされ、谷川相手にも第28期(1987年)の王位戦本戦リーグで谷川以外には全勝したものの、相星決戦となったプレーオフで再び谷川に敗れ、挑戦者決定戦進出を逃している。
  • このエピソードからも分かるように、あと一番というところでなかなか勝てぬ事が災いし、ついにタイトル戦出場は叶わなかった。挑戦者決定戦での敗退3回は、タイトル戦未出場の棋士では小林健二の5回に次いで歴代2位である。
  • 80年代半ばに首が回らなくなるという奇病を患って以来、プロ棋士としての成績はやや低迷したものの、著述・評論の分野で活躍。近著『升田将棋の世界』は第18回・将棋ペンクラブ大賞の著作部門大賞に選ばれている。
  • ベビースモーカーゆえ、対局時でもタバコを離さなかった。NHK杯テレビ将棋トーナメント早指し将棋選手権のようなテレビ対局でも、喫煙しながら指す真部の姿が放映された。
  • 晩年、振り駒の公平性(歩の裏表が出る確率は1/2より偏っているのではないか)に疑問を抱いたことから棋士総会で振り駒の統計を取ることを提案。提案は受理され日本将棋連盟は1年間にわたって全公式戦の振り駒結果(表が何枚、裏が何枚)を記録、統計をとることになった。
  • テレビ時代劇 銭形平次
    • 第521話「平次一番勝負」(1976年)に天野宗歩役でゲスト出演した。

昇段履歴

  • 1965年 6級 - 奨励会入会
  • 1967年 初段
  • 1973年4月1日 四段 - プロ入り
  • 1976年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
  • 1978年4月1日 六段(順位戦B級2組昇級)
  • 1980年4月1日 七段(順位戦B級1組昇級)
  • 1988年4月1日 八段(順位戦A級昇級)
  • 2007年11月24日 - 九段(没後追贈)

主な成績

  • 順位戦 - A級在籍通算2期(第47期=1988年度、第49期=1990年度)
  • 竜王戦 - 自己最高 2組(第1期から第15期まで15期連続2組在籍)

一般棋戦の優勝歴

合計 1回

その他表彰

  • 第2回将棋大賞 - 新人賞(1975年;評価対象年度は1974年)
  • 第4回将棋大賞 - 敢闘賞(1977年;同1976年)
  • 現役勤続25年表彰(1997年)
  • 第10回将棋ペンクラブ大賞一般部門、大賞受賞(1998年)
  • 第18回将棋ペンクラブ大賞著作部門、大賞受賞(2006年)
  • 第35回将棋大賞 - 升田幸三賞特別賞(2007年)
  • 第35回将棋大賞 - 東京記者会賞(2007年)

著書

  • 真部一男の将棋の指し方(1980年7月、日東書院ISBN 4-528-00482-8
  • ぼくらの詰将棋入門(ジュニアライブラリー)(1981年1月、成美堂出版、ISBN 4-415-03916-2
  • 将棋戦法大事典(共著、1985年12月、大修館書店ISBN 4-469-01211-4
  • 新・駒落革命(1994年1月、木本書店、ISBN 4-905689-48-1
  • 升田将棋の世界(2005年7月、日本将棋連盟ISBN 4-8197-0230-0

家族

関連項目

外部リンク

脚注

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